気が向いたら書くblgo

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気が向いたら書くblgo

タイトルで言い尽くした。
http://twitter.com/#!/hrkt0115311

2006.12-2011.5まで、「どんなジレンマ」というblogをはてなダイアリーで書いて、友達ができたり先生ができたり、あるいはdisられたりと、そんな時間を過ごしました。

  • ふるさと

    Twitterにログインしてないし、

    blog更新しなくなったから、そもそもGoogleリーダーを見ることもなくなった。

    TVもラジオも今は必要としていないから、

    「え、そうなの?」なんていいながら検索することも増えた。

    blogにはまってたやつが、

    「普通」になっただけなのかもしれない。

    でもさあ、面白いかつまんないかはともかくとして、

    何かしら大量に「書きたいことがあった」時の、「にぎわい」みたいなものが

    失われたのは確かで、それが少し寂しい。

    元気だし、毎日幸せに暮らしている。

    ネットは今でも大切だし、僕にとってはリスペクトの対象だ。

    ふるさとを、遠くから見ると、こんな気持になるのかもしれない。

    Posted on June 23, 2011

  • くぢけた

    WEBサービスに下書きをして、推敲をして、よーっしおぢちゃん公開しちゃうぞー、と思ったら、なぜかコピーアンドペーストができず、コピーできないデジタルデータってなんやねんと思いつつ、涙を流した夜もあったさ。

    (訳 昨日、エントリ書いたんだけど公開できなかったよ)

    Posted on June 4, 2011

  • 役割と責任

    匿名ダイアリーに言及しまくってたおせっかいな男が、教会生活始めたら、なんかしらないんだけど、人生相談受けることが増えた。ちょっとまて、ちょっとまて、僕の専門はそこになくて、精神科医でも牧師でもない僕にそんな話をしちゃだめだ。

    友達の話に関しては、ある意味無責任にきくことができて、問題なのはそこじゃないよねと思いつつ、思考のループにはまって自覚しても抜け出せない状態をじっと見ていた。何があっても、彼が去らない限り僕は彼の友達だから、とことんつきあえばそれでいいと思っている。

    また別のケースでは、誰にも言えなくて僕に話してくれたので、その人が、専門性と秘密を守ってくれる教会スタッフに安心して何でも話せるようになるようお手伝いをしたつもり。

    僕は、勘違いしたり、傲慢になってはいけないから、教会の中で責任を負わない立場だし、僕の役割は何かという問題もあるから、謙虚でいさせて欲しいと強く願うのでした。

    Posted on May 30, 2011

  • 有能じゃなくても、目立たなくても。

    「ああ、こういう人になりたかった」と心底思える人に出会うことは、とても嬉しいことだし、同時に残酷なことでもある。うっかり、比較なんかした日には、気持の平安を保てない。比較しなけりゃ済むだけの話なんだけど。

    最善尽くしたけど、向いてなかったんだからしゃーない。

    過去はとりかえせないし、僕も、過去遊んでたわけじゃないので、それなりに専門性は持っている。それが、子どもの頃思い描いたようなものではなかったとしても。

    チームを作るときは、役割分担があるわけで、全員がスター選手でなくてもいい。

    裏方も必要。

    目立つことが人生の目的ではないから、最前線に立てなければ、後方支援だっていいじゃねえかと思う。何よりも、僕があこがれる人は、組織の中で一人いれば十分。だったら、自分ができることをすればいいし、時間を見つけて、その人から感化を受ければいいと思うんだ。

    「僕には無い」という嘆きから、「できること」を探すうちに、まだまだできることはいくらでもあることに気がついて、楽しくなってきた。

    Posted on May 30, 2011

  • 順調に苦しんでいるね

    「生き地獄」というか「人生の修羅場」とか、八方ふさがりでもう駄目なことって、人生のイベントとして、ときおり発生するじゃないですか。

    もちろん、避けるにこしたことはなくて、わざわざトラブルに飛び込んでいくことはないんだけど、適切にやって、それでも、生育歴とか色んな理由で、抱えざるを得ない問題ってあるじゃないですか。

    そういうのと、もがいてもがいて、なんとか生き延びる道を見つける経験って、やっておくと、いいと思います。

    だって、そういう経験しないと、身につかない「胆力」ってあると思うもん。

    河合隼雄さんの本だったかな、「順調に苦しんでいますね」みたいな言葉があったと思うんだけど、そういう視点が僕は好きです。

    Posted on May 29, 2011

  • テスト

    新改訳聖書―注解・索引・チェーン式引照付

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    ほー。はてなダイアリーに貼るより、少し手間だけど、書影出せるのか。じゃあ、感想文とか続けられるじゃん! 気が向いたら戻ってきます。気が向かなかったら戻ってきませんw

    この本は、注釈も凄いんだけど、後ろに語句辞典がついてるから、たぶん牧師さんが仕事に使っても耐えられるくらいの、しっかりした作りだと思う。「重さ」が気にならないなら、そして一生に一冊しか買わないなら、新解約ならこれがいいんじゃね? と僕は思っていますよ。

    新共同役とか他の訳の聖書ではまた違ってくるんだけど。

    Posted on May 27, 2011

  • blogを今から始めようか検討している物好きなあなたへ

    もう、似たようなコンテンツはあると思うんだけど、ぐぐらずに書いてみます。

    blogが目新しい物だった頃と違う、これだけblogが身近になって、かつ他の選択肢も増えた状態で、それでもなおblogをやる理由とか向いてる人のことを考えてみました。

    ・お金欲しい人

    ・・「くそう、金欲しいのにw」というのは、そう非難されるものではなくて、例えば音楽に詳しい人がいたとして、その人が好きな物について語り、自分が好きな物を誰かが買うきっかけを作って、その結果キックバックを得るのなら、「書き続けるモチベーション」の一つとして健全だと思います。

    ・専門性がある人

    ・・月10万アクセスのblogに育つかは知らないけれど、専門知識のある人が、専門について書くですとか、専門という立ち位置から見た世界の描写は、読む価値があると僕は思う。そういう人が、「書きたい」と思ってくれることは、blog界にとって+だと思います。

    ・痛い思いをしたい人

    ・・もちろん程度問題で、炎上して仕事なくすとかそういう意味ではありません。論客系ブロガーを見つけて、議論が成立しようがしまいが(成立しないのが普通だと思う)、とにかく理論武装して頑張ってみると、色々痛い思いしたり、調子に乗ってると、まぢ怖い人出てきたりするから、とても貴重な経験ができますよ。

    ・尊敬できる友達や仲間が欲しい人

    ・・SNSとか他の媒体でもできるんだけど、Googleで簡単に関連づけられてしまう、整理されてしまうというのはすごいことで、「興味によって繋がる」ネットの良い部分を享受できます。始めて数ヶ月で知り合えることもあれば、数年必要なこともあるでしょう。地域社会、学校、職場などとは違ったレイヤーで、思いがけない人と知り合うことができる「かも」しれません。もっとも、その逆に、ストーカーに粘着されることもある「かも」しれません。まあ、その場合は警察に相談にいこう。

    ・マイノリティの人

    ・・発言しないと、「いない」ものとして扱われるから、デリケートな問題について、ネットで見知らぬだれかの無理解や悪意に傷つけられる「覚悟」があるなら、どんどん発言すればいいと思う。blogを書いたから問題が解決されることはないけど、まず、そこに問題があることを知ってもらうこと。それから、匿名の建前でハンドルネームを使い交流をして、「どうして話が通じないのか」を見極めると、それは日常生活へ還元できる財産になります。

    ・出力しないと死んでしまう病にかかっている人w

    ・・活字狂の逆で、何かをインプットしたら、アウトプットしたくて仕方ない種族っていると思うんですよ。そういう人は、情熱がつきるまで、元気に活動したらいいと思うな。

    blogは、物好きによる、物好きのためのコミュニケーションツールだと思う。だから、よくよく考えるとやる理由ってなかなか見つからないと思うんですよ。上記にしても、たとえばお金については、本業をめいっぱいやって趣味でも軽く実益をって話だし、友達が欲しい人は、何らかのコミュニティに属してもいいし、勉強会とか参加してるうちに仲間ができたりするので、必ずしもblogだけが唯一の方法じゃないよね。ただ、河野さんもどっかに書いていたけど、誰かと会うときに、相手のblogがあればあらかじめ目を通すことで、初対面でも話の質が変わるから、「名刺+αの自己宣伝ツール」として使うこともできますね。

    ああ、それと書き忘れた。「blogの運営を学びたい人」も試すといいです。数年かけるとネットリテラシーつくし、自分が予想してない言葉で検索経由で人がたくさん来たりするから(相手は分からないから)、やってみないと知らないで終わることがいくつかあると思います。

    で、趣味でやってることなので、何の責任もないから、嫌になったら放り出す自由があります。一切消えることもできるし、僕みたいに、blogのスタンス変えて、ご隠居化することもできますw とても自由で、使い方次第で、毒にも益にもなる、いいやつですよblog。

    Posted on May 27, 2011

  • 亡くした犬の思い出

    昔話をします。

    一緒に暮らした猫は、人ではないけど、僕にとっては家族です。

    http://ghost-hrkt0115311.tumblr.com/post/5838204098/16-5

    書かずにはいられなくて、弔文を書きました。

    この子にだけ、弔文があるのも、なんかひどいなと思い、子どもの頃から20年弱一緒に暮らした犬についても文章を書きます。

    一緒に暮らすまで、僕は動物苦手で、犬が怖かったんですよ。まして猫なんてとんでもなくて、あの頃の自分は、今の私を想像できないと思います。

    日本犬の雑種の女の子と一緒に暮らしました。我が家に迎えた、はじめての動物の家族です。しつけは父がしました。ひとなつっこくて、番犬にならないし、好きな人がくるとお腹みせてよじよじしたあげくに、嬉しょんするような子でした。

    散歩するのが辛い時もありました。ごはんの世話が面倒な日もありました。猫と違い、犬は気を遣うから、「構って欲しいけど、忙しいのかな。おかえり」みたいなそぶりも見られて、忙しくて時間をかけてあげられないことに申し訳なさを覚えていました。

    涼しい場所や風の通り道を見つけるのが上手くて、「お気に入りの場所」に座って通りを歩く人を眺めたり、小学生に構われたり、家族が帰ってくるのをじっとまったり、そんな風に過ごしていました。

    晩年、眼がほとんど見えなくなっても、慣れた場所だからとくに不自由はないみたいでした。衰えは後足から来ました。上れたところに上れなくなりました。まるで、電池が切れたみたいに、ぱたんと倒れて、「体が動かないよ、変だよ、怖いよ」と鳴いて、母が抱き起こしたこともありました。

    亡くなった日は、冬の寒い日のことで、玄関にベッドを作って、寝かせました。何か疾患があるのではなくて、もう純粋に老衰なので、家族が誰かしらそばにいるようにしていました。意識は最後までしっかりしていました。僕は、ああもう今日はやばいなと思いつつ、挨拶して出勤しました。

    通勤途中、携帯が鳴りました。実家からの着信でした。もうそれで意味は分かったけれど、静かな場所で電話をとりました。

    「息を引き取った。あわせてやりたいけど、夜までこのままにしておけないから、火葬する。構わないか」という連絡でした。僕もその方がいいと思い、同意しました。

    帰宅して、骨壺に入った、あの子を見て、なんとも言えない気持になりました。

    喪失感がとても強く、恥ずかしい話ですが、深夜一人で、骨壺を抱きしめて泣きました。泣こうがどうしようが、本当にどうにもならないんですけれど。

    こんな文章を書いて公開したところで、自己満足でしかありません。僕の犬は、この文章を読めないですし、気持が伝わるのであれば、文章にするまでもないでしょう。ただ、身びいきかもしれないけど、一緒に暮らした犬は僕にとっては最高の犬で、「ペットは死ぬから辛い。一緒に暮らすの嫌だ」という考え方もあるけど、僕は同意できない。今はノエルがいるし、犬についても、散歩してあげられる余裕ができれば、また一緒に暮らしたいと願っている。

    動物への怖さや無知を取り除いてくれたこと。それから、同じほ乳類として、生きて死ぬってこういうことだよとお手本を見せてくれたこと。

    何より、僕なんかと一生過ごしてくれたこと、本当に感謝しています。もういちど会えるなら会いたいし、もう一度、最初からあの子を育て直せるなら、この先20年を捧げても惜しくないです。でも、そうはいかなくて「一回きり」のことなんですよね。そういう、「一回きり」ということも、あの子が教えてくれました。

    昔話におつきあい下さりありがとう。

    Posted on May 26, 2011

  • blogからの恩恵は、もう十分です。 あるいは、06年12月からの過去ログを殺した理由。

    ToDoリストを振り返ると、去年の夏から考えていたことがある。僕が、目的別に作りすぎたblogの整理についてだ。

    僕は読むことも書くことも好きだ。どうかしてるんじゃないかと思うくらい、更新した。楽しかった。色んなことがあったし、blogのおかげで、出会えた人もいる。中には実名交換して、他のレイヤーで繋がっている人もいる。一緒に飯を食えるひともいる。blogが無ければ、インターネットが無ければ、接点が無い人ばかりだ。

    blogの恩恵はもう十分だと思った。数人、大事な友達がいれば、もうこれ以上欲張ることは無い。

    去年、信頼している友達に指摘されたんだ。複数blogを運営していることから、僕は君をこうプロファイルしてるよって。言われてびっくりした。なるほどそういう見方もあるし、そのプロファイルは的を射ていた。

    好きなように書き散らした十個弱のblogを整理しなきゃいけないと思っていた。でも、愛着もあるし、使うこともあるかもしれないし、整理できずに来てしまった。

    暮らしていると、節目の年ってある。去年が僕にとってはそうだった。この一年で、僕はずいぶん変化した。

    自分の人生に必要なもの、絶対譲れない物、いらないもの、身辺整理を済ませた。

    とてもすっきりした。

    blog類もやらないといけないと、重い腰を上げて、思い切ってえいやっとすべて削除した。一つ前の文章を除いて。

    基本的に、過去ログは変なこと書いて恥をかいたとしても、「ハンドル」で書く以上は、「恥をかく」ことが、信頼を得る担保だと考えていたから、ずーっと残しておいた。でも、信頼してくれる人は信頼してくれたし、そうでない人はそうでないし、もう過去ログ残しておく必要ないなと思うようになった。

    Twitterにも書いたけれど、僕はアルファブロガーになりたくて書いていたわけじゃない。書きたい衝動に突き動かされて書いていた。衝動が弱くなれば、コンテンツも弱くなる。中途半端なことはしたくなかった。「最盛期」より、元気なコンテンツを書くことは、もう無理だと判断した。自分のblogに寿命が来るなんて思ってもみなかった。

    そんなわけで、友人知人に心配かけたけど、突然blog類を消しました。思い切ってえいやってやらないと、一つ一つ思い出を振り返って、文章の選別とかしてたら、一生終わらないと思ったから、極端なことしました。

    どうしてはてなダイアリーに戻らないかというと、はてな自体から退会しているからです。Tubmlrは広告でないし、リブログしたい人はリブログしてくれて構わないし、blogとして利用するにはこれで十分だと思ったんだ。

    トラックバック送信できないのは残念だけど、かえっていいかもしれない。文章が書きたくなったら使う、というコンセプトなんだから。

    関わってくれた人たち、ありがとう。佐藤優さんじゃないけど、絶対に正しいことは複数あるって寛容さが、僕らのblog界隈には無かったように思う。「僕はこれを信じる」「あなたはこれを信じる」で、考え方の違う僕らがこうしてやりとりするゴールはどこだろう、ということをあまり経験できなかった。狭いblog界隈の勝った負けたのプロレスは、僕はもういいや。

    「はてなダイアリー」には本当に愛着があった。最高のツールだと思った。でも、「いい製品」があるだけじゃ、受け入れられないこともあるんですね。あるいは、受け入れられたんだけど、その機能を必要としている人が少なかったのか。僕はしばらく、もう、ずいぶんおとなしくなったけど、「はてな村」的なものからは距離を置いて、Tumblrで時々更新することにします。

    今後とも、どうぞよろしく。

    Posted on May 25, 2011 with 2 notes

  • 「16年と5ヶ月、お疲れ様。」

    初出 ttp://hrkt0115311.blog10.fc2.com/blog-entry-2924.html (閉鎖)

    日付 : 02 20, 2010

    93年夏から一緒に暮らした猫が、死んだ。

    手のひらにおさまる子猫で、「はて、ここはどこだろう?」なんてきょとんとした顔していた様子が昨日のことのように思い出されるので、小さな棺に納められた君の亡骸を見ても実感がわかない。

    この数日、食欲が無くなり、水も自力では飲めなくなったから寿命が近いと感じたけれど、認めたくなかった。正直心の準備ができていなかった。20年、25年生きる猫もいる。さよならするのはもう少し先かと思っていた。あなた自身の寿命もあるかもしれないし、男の子の方が寿命が短いのかもしれないね。与えられた時間を精一杯生きたことは、たしかに見せてもらいました。

    2年くらい前から、最盛期と比べると一回り小さくなって、君はおじいちゃんしていたんだね。首輪、通気性が良いものにしても皮膚が荒れて毛が抜けるようになったから、この数年は首輪外してもらっていたね。亡骸の君をなでて、背中の毛を整えたりしながら、首輪のことを思い出していたよ。耳の先からしっぽの先まで、どこにも病の気配はなくて、欠けたところもなくて、そうした姿で君を送り出してやれて良かった。

    壁を蹴って三角飛びする生き物を生で見たのは君がはじめてです。

    紙を丸めて小さなボールを作り、キャッチボールしたね。鉄壁の防御で、両手でキャッチするか、はたき落とすかしてたよね。

    もう少し若い頃は、遊んでほしくなると猫じゃらしとか紙ボールとかをくわえてトコトコやってきて、僕の部屋の扉の前に並べてあったこともあったね。

    君の小さな棺に、以前この文章で書いた「生地」も一緒に入れたよ。小さな花束も添えた。荷物になるかもしれないけれど、一緒に持って行ってほしい。君がぼろほろにした壁紙などを見ながら、僕らは毎日君のこと思い出す。思い出すから、時々は、こっちに残してきた家族のことを君も思い出してくれるとうれしい。

    17年近いつきあいだったね。色んなことがあった。猫ってもっと無表情な生き物かと思っていたし、こんな感情表現が豊かな動物だとは思っていなかった。私の中にあった、漠然とした猫への偏見を払拭してくれたのは君です。感謝しています。君を育てて、君をかわいいと思うようになって、猫が好きになりました。

    17年近い命を終えて、どんな気持ちでいますか。そう、悪くなかったと思ってくれたら、うれしいです。「やれやれ、言わないとわかんないのかよ」なんてニヤッとされそうな気もします。

    おつかれさま。一緒に生きてくれてありがとう。

    —-

    ★公開時追記

    亡くした猫への追悼文です。稚拙ですが、これだけは削除できなかった。

    こっちは色々あって、君の弟分の「ノエル」って猫が、てんやわんやなんだけど、元気に暮らしています。君のことは、よく食卓で話題にのぼります。気ままな猫らしい猫だけど、そっと弱ったやつに寄り添ってくれる、優しい一面があったこと忘れません。

    Posted on May 25, 2011

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